西洋の蒸しもち

【西洋の蒸しもち】
「薩摩兵糧方より、兵糧麺包の製造を命ぜられし時に、弊堂(風月堂)は、黒胡麻入の麺包を、携帯に便利なるよう製し、五○○○人分を納めたりき。しかるに、この薩いわきだいらたいとま摩の兵、磐城平より若松の戦まで、兵糧を炊く暇なき時、この麺包によりて、その便利を実験せられ……」黒胡麻入りのパンが薩摩軍に納入されたのである。明治元年(一八六八)のことであった。風月堂によると「パンといっても、長期保存に耐えうる携帯食ということから、ビスケットに近いものと考えたほうがいい」ものだった。しかも「おそらく、薩摩藩の指導のもとに製造されたのではないでしょうか」という。というのも、それ以前から薩摩藩では「蒸餅」と称する兵糧パンを製造していたからである。なりあきらこのことは同藩の『斉彬公御一行録』の中に記されており、薩摩藩が軍の食糧にいかに気を配っていたかがわかる。蒸餅は「攻守の間において、やむを得ざる場合に用うる手当なれば、分けて念を入れ味よきように製すべし。入費を厭うことなか勿れ。入費を厭うは、平生のことなり。西洋においては蒸餅を製するに、牛肉、せんじゆう鶏肉等の煎汁を以て製す」とある。

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